約半世紀に渡り社会的価値を失っていた機械が、なぜこの時代に『目新しさ』とともに人々の心を魅了するのか?

IMG SRC STUDIO

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『FLIP-DOTS』とは、磁気で反転する複数のディスクで構成されたアナログ感覚のデバイスです。
独特の動作音とユニークな視覚効果を作り出す、LEDなど一般的な大型ビジョンでは味わえない特徴を持ったこのデバイス。
その魅力について、IMG SRC STUDIOのプロデューサー・上林がご紹介します。

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そういや昔は電話で時間を合わせてたよね?

先日、某現場で他社の若手社員と談笑していた際、ひょんなことから「時報」の話題になった。

電話で「117」にかけると、24時間いつでも優しいお姉さんの声で日本標準時間を語りかけてくれる、あの「電話の時報」の話。

日本における電話の時報は1955年(昭和32年)6月10日の「時の記念日」に始まり、70年に渡り正確な時間を刻み続けている。スマホもなく、インターネットもまだ普及していなかった時代、腕時計などを正しい時間に設定する際、人々は必ずといっていいほどこの117をダイヤルして、彼女の声を頼りにしつつ、「時間」というこの世の絶対的な概念の擦り合わせを行っていた。ビデオデッキやエアコンのような家電はもちろん、(今となっては滑稽としか思えないが)携帯電話やパソコンなどのいわゆる情報通信端末も含め、時計機能を内蔵したありとあらゆるものは、全てこの117のお姉さんのお世話になっていた、と言っても過言ではない。

しかし私自身、振り返ってみるともう何年もあのお姉さんの声を聞いていないし、「117」という3ケタの番号ですら、すでに記憶が朧げでもあった。

一体いつから、私は彼女を捨ててしまったのだろうか。あれほどお世話になった、あの優しい声を。

黒電話で電話をかける女性のイメージ画像
時報のお姉さん(※画像はイメージです)

インターネットテクノロジーの侵略

調べてみると、Mac OSがネットワーク・タイムサーバ(NTP)を使って内部クロックの自動補正を行うようになったのは、1998年10月17日に世界同時リリースされた「Mac OS 8.5」からとあった。インターネットに接続すると、OSが勝手に内部クロックを補正してくれるようになり、人々は弄せずして「超正確な時計」を手に入れたも同然だった。

当時熱烈なApple信者だった私は、このMac OS 8.5も発売日当日購入し、すぐさま自宅のPowerBook G3にインストールした(ような記憶がある)。

そしておそらくこの日を境に、私は彼女を捨ててしまったのではなかったか。この日を境に、「ほぼ狂わない時計」という利器を手にした私は、あらゆる時計の時間合わせに電話の時報ではなくMacを、そしてそれがiPhoneに受け継がれて現在に至っているのだ。多分。

ジェネレーションギャップとしか表現できない意思不通

話を戻すと、冒頭の「他社の若手社員」というのは2025年度新卒採用の人で、概ね2002〜03年ごろに生まれたのだと思われるが、彼は私が語るこの「電話の時報」の話を、一切理解できていなかった。「聞いたことも使ったこともない」のは想定内だったが、「何のためにそんなものがあるんすか?」と、電話の時報の、そしてあのお姉さんの声の存在自体を否定するようなことまで言及する。さらには、「時計の時間を合わせてる間に時間が進んじゃったらどうするんすか?」とか、奇妙奇天烈なことまで言い出す始末で、会話すら成立しない。

ビデオデッキの時計が狂っていたためにTV番組を録画できず忸怩たる思いをしたとか、そういう「録画予約あるある」とは一切無縁な、オンデマンドでサブスクな時代を謳歌する彼らにとって、117のお姉さんのあの優しい語り口など、一生響くことはないのだろう。

レガシィ(敢えて「時代に取り残された」とは呼ばない)な機材やサービスは、それらが極めて重要な役割を果たしていた時代の人々の記憶や感情をたっぷりと内包しつつ、それでも時代の流れや技術の進化に抗えず、微かな需要に縋って細々と生きながらえていくか、役割を終えて人知れず消え去っていくか。

117が今も細々と時を刻み続けているのに対し、その相方(?)ともいえる天気予報の「177」は2025年3月31日をもって、惜しまれることもなくひっそりとサービスを終了している。それが現実というものだろう。

しかし、その中の一握りは、新しい需要や用途に再び役割を見出し、生命を吹き返したりもするものもあるのかもしれない。

FLIP-DOTS 今昔物語 ─その栄光と衰退─

FLIP-DOTSという機械は本来、極めてレガシィな存在だった。

1961年、カナダの航空会社の要望を受けて開発された「The flip-disc display」を起源とするこの装置は、当時としては画期的/先進的な機構を持つ、世界初の実用的なドットマトリクスディスプレイとして誕生した。電気的に磁場を制御し、永久磁石を内蔵した(大抵の場合は白黒の)ディスクの表裏を反転させることにより、文字や数字、記号などを動的に表示できる唯一無二の表示器として、1970年代初頭にはここ日本をはじめ世界各地の証券取引所で株価や銘柄を表示したり、空港や駅では行き先や出発時刻を表示していた。

しかしそんな輝かしい栄華も束の間、70年代中盤に華々しくデビューしたLED式ドットマトリクスディスプレイ(いわゆる「電光掲示板」)の登場は、FLIP-DOTSが独占していた「ドット文字の動的表示」というマーケットを席巻し、これによって世界中のFLIP-DOTSは瞬く間に駆逐されてしまったのだ。しかもLED式は、FLIP-DOTSが苦手とする暗所でも燦然と輝きを放ち、回転不良などの物理的トラブルとも無縁で、防水加工も容易。どう考えても、FLIP-DOTSが勝てる要素は一つも存在しなかった。

それ以来約30年間、FLIP-DOTSは街中からも、人々の記憶からも忘れ去られ、まるで存在すらなかったかのようにヨーロッパの片隅で細々と製造される、数奇な運命を辿ることになる。取って代わった電光掲示板が、液晶や高精細LEDビジョンなどが普及した現在でも一定の需要と役割を担っているのに対し、機械式のFLIP-DOTSは完全に世の中から消え去り、テレビの昭和特番のモノクロ懐かし映像のように、ノスタルジックなアイテムとしてある種のデバイスマニアたちに認識される程度の存在となっていった。

LED式マトリクスディスプレイのイメージ画像
世界中のFLIP-DOTSを瞬く間に駆逐した「電光掲示板」

復活の狼煙

かようにして世の中の表舞台からほぼ姿を消していたFLIP-DOTSだったが、21世紀に入りデジタル・インスタレーションやメディアアートといった新しい表現の分野が注目を集める中で、再び脚光を浴びる存在となった。

軽快で独特な動作音とともに、ディスクが物理的に反転しながらグラフィックや映像を表示するその姿が、折しも注目を集めていた「キネティックディスプレイ」の始祖として認識され、先端のデジタルテクノロジーとの融合を果たそうとしていた。そしてちょうどその頃、ここ日本でも我々IMG SRC STUDIOがFLIP-DOTSの存在に着目し、国内初のベンダーとして活動を始めたのだった。

旧来のFLIP-DOTSが、アルファベットや数字などのドット文字を淡々と事務的に表示する用途で使われていたのに対し、我々はここにモーショングラフィックや動画といったデジタルコンテンツだけでなく、カメラやセンサーによって自分自身の姿が投影されるような、フィジカルでプリミティブでインタラクティブな「顧客体験的価値」を付与することで、このレガシィなデバイスに新しい生命を宿らせていった。

2012年、IMG SRC 初のFLIP-DOTSを使った事例「GALAXY SPLIT SCAN」

「もはや別物」 デジタル時代に蘇ったFLIP-DOTS

FLIP-DOTSとは、何か。

本質的なことをいえば、それは1mmピッチ以下でフルカラーの超高密度高精細な大型LEDビジョンが市中に溢れるこの時代に、1画素が13.5mmもあり、しかもたったの2色しか扱えない超低解像度低機能ディスプレイ機材、ということになる。

しかし、イベントや店舗など数々の現場にFLIP-DOTSを導入し、そこに集まる人々の生の反応を見ている限り、そんなスペック的な制約などはある意味どうでも良く、見た人が一様にある種の衝撃と驚きを伴った「感動」に近い感情をあらわにする場面を目撃することになる。カシャカシャという独特の動作音と、高速で反転するディスクが織り成す2階調のグラフィックを、斬新な表現手法だと感じる人がそのほとんどなのだろう。

約半世紀という長い間、世の中から姿を消していたことが幸いし、ほぼすべての人が在りし日のFLIP-DOTS本来の姿を知らないし、知る術もない。そしてそれは、概ね素晴らしいことだ。

サブスクの音楽配信サービス全盛のこの時代に、敢えてレコードやカセットテープをどことなくノスタルジックな趣きを込めてもてはやす行為については、エッジの効いたカウンターオシャレ感としてはアリだと思うし否定するつもりは全くないものの、実際にラジカセ使って深夜にせっせとフル手動でカセットテープにFMラジオを「エアチェック」して一喜一憂したりしていた世代としてひとこと言わせてもらうと、やはりそうした行為は「ぬるい」という表現にはなってしまう。貸レコードの返却時、店員さんの「キズチェック」にビクビクしていた、そんな時代にはもう、戻りたくはないのだ。

よくわからないが、ファッションとして消費される対象である限り、そこに本質的な意味は存在しづらい、ということなのかもしれない。人々がFLIP DOTSを初めて見たときに湧き上がる感動は、そうした文脈のものとは少し異なる、純粋に目新しさや物珍しさに触れたときの衝動であって、それを形成しているのが単に半世紀前のデバイスだった、というところにこそ意味があるのだろう。彼らにとってそれは全く新しい体験であり、最先端のデバイスからは得ることがない「価値」を提供しているのだから。

これまで一度だけ、長年兜町で働いていたという紳士に、「懐かしいなぁ、昔は取引場にいっぱい置いてあったんだよ!」というお言葉をいただいたことがある。数十年ぶりに再会した青春のFLIP-DOTSは、当時とは全く異なる使われ方をして、現代の若者たちを魅了している。そうした光景に目を輝かせながら、その紳士は「すごいねぇ。我々が知ってるのとは、もはや別物だな!」と続けた。そこには確かに、特別な時間が流れていた。

前述のように、最近では超高精細なLEDビジョンが街中の至るところで稼働していて、その美しさと高い表現力に驚くこともほぼ無くなった。そんな時代、「人々の目に止まる」「人々の心を動かす」ためには、FLIP-DOTSのような最先端とは真逆の発想を伴った「アナログ感」(=「機械式」という意味で)が少なからず求められ、そしてその背景には、人知れず長い年月を踏まえた物語が、しっかりと詰まっている。私の考え過ぎに違いないとは思うのだが、FLIP-DOTSを目にしたすべての人が、そんな妄想を抱いてくれたら最高だ、とも思う。

仁川空港に展示されているFLIP-DOTSの画像
過去最大規模のFLIP-DOTS Wall @仁川国際空港
Y's表参道に展示されているFLIPーDOTSの画像
Y’s 表参道での表現力

117の「別の顔」 

そういえば。117のことを調べていたら「混線(漏話)」のことについて触れられた記述を目にした。

アナログ式の交換機が使われていた時代、117や177に電話すると、淡々と時刻や天気を伝える声の「向こう側」から、どこかの誰かが喋っている声が聞こえてきて、稀に会話もできたらしい。

こちらは単に時刻や天気を調べるために極めて無感情な状態でいるのに、見ず知らずの世界線から陽気に浮かれた笑い声や、楽しげに喋る声などが漏れ聞こえてくるのだ。当時は「混線」自体が特段珍しい現象ではなかったのであまり気にしなかったが、今考えるとなかなか興味深い現象だったように思う。

交換機が完全にデジタル化して久しい現在では不可能な話ではあるが、この懐かしの「混線」が現代に蘇ったとしたら、なかなか魅力的な「ハプニング体験」となり得たのかもしれない。冒頭に登場した他社の若手社員くんなど、電話の時報自体に全く意味を見出せない若者たちも、「同じ時間に同じ地域で同じ番号に電話した見ず知らずの誰か」とマッチングし、束の間の会話が楽しめるとしたら…。117の顧客体験に、新たな価値が加わっていたのかもしれない。

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